使えるコンタクト
最近はパニック障害など、さまざまな新しい現代病の存在が社会問題となりはじめています。
その原因は複雑でしょうが、情報が氾濫する現代、その情報を整理する基本的な能力や習慣が欠如していることも一因に挙げられます。眼と脳と行動をスムーズに連動させる習慣を幼いころから意識して高めておくことが、こうした問題への有効な対処のひとつになると考えます。
メジャーリーグでもビジョントレーニングは1970年代から導入され、その効果が確認されています。アメリカの雑誌「べースボールウィークリー」(1999年6月6日号)でも特集され、選手たちの成功例が載せられています。
その中には、BやT、B、Jといったスーパースターたちの名前が、ビジョントレーニングで成果を上げた選手として紹介されています。記事の中で興味深いのは、Pに関する記述です。
メジャーリーガーにビジョントレーニングを指導した草分け的な存在が、オプトメトリストのドクターWですが、メジャーで最初に成果を実証した選手のひとりとして、当時RでプレーしていたPについて、Hが次のように証言しているのです。Pというのは、いまI選手が所属しているS監督その人です。
Pは両眼とも1.0の視力を持っていたのに、調べてみると片眼でボールを見て打っていたのだ。さらに、投手のボールが投じられて目の前を通過するわずか0.5秒以下のあいだに、ボールを見る眼を替えるという癖さえ持っていた。
だから瞬間的にボールが2つに見えることもあったがボールが2重に見えることもあった。それが、数週間のビジョントレーニングで改善され、2割7分9厘だった打率が翌シーズンには3割1分2厘に上がったのだ。
ただ数字が上がったというなら、視覚以外のレベル向上のためとも考えられますが、片眼でボールを見る癖があった、利き眼が途中で替わる特性を持っていたなど、ここでも紹介した難しい課題を視覚に抱えていたとあっては、成績の向上がビジョントレーニングの成果だと言っても過言ではないでしょう。ビジョントレーニングを自ら体験し、その効果があったからこそいまメジャーリーグの監督の地位にいるPなら、I選手の打撃を支える大切な要素のひとつが視覚にあることを十分察していることでしょう。
I選手にとっては、その意味でも願ってもない監督のもとでプレーしていると言えるでしょう。春のセンバツ甲子園(春の全国高校野球大会)に出場し、ベスト8まで進出したN高校は、高校野球で最初にビジョントレーニングを本格的に採り入れたチームです。
選手たちは今も熱心にビジョントレーニングを重ねています。R高校のK監督は、現場サイドから貴重な実践結果や新しいアイデアをフィードバックしてくれる大切な仲間のひとりですが、たとえば、トランポリンを使ったピッチング練習もK監督が考案したユニークな練習方法のひとつです。
直径約1メートルのミニトランポリンを2つ用意し、軸足の位置と踏み出す足の位置に置きます。投手がこの上でピッチングをするのです。
最初はとまどいます。とくに踏み出すときの足もとが不安ですから、それを気にしすぎたら視線が下に動き、捕手のミットから目が離れてしまいます。
それがないよう、確信をもって足を踏み出し、捕手のミットから眼を離さず、内の眼も過剰に足もとに向かわずきちんと打者への投球に意識を向ける。運動的な効果があるうえに、精神的な動揺に対処する心理トレーニングにもなる、さまざまな要素が凝縮された練習方法です。
N高校の甲子園出場は10年ぶり11度目。いまの選手たちにとってはもちろん初めての甲子園です。
大観衆の甲子園、しかし、N高校の選手たちは伸び伸びとプレーし、2回戦、3回戦をいずれも接戦の末に勝ち抜きました。3回戦勝利の立役者のひとりは先発した2年生のI投手でした。
身長170センチに満たない、秋の大会でもほとんど登板経験のないI投手の先発は誰も予想していませんでした。ところがI投手はK監督の期待どおり、中盤までK高校(徳島県)の打線を封じ、先発投手の務めを果たしました。
ミニトランポリンの上でやった投球練習が、大観声やテレビカメラなど、いわば雑念を寄せつけず、投球にしっかり意識を向ける訓練になっていた、だからこそI投手は甲子園のマウンドでさっそうと好投を演じることができたのかもしれません。新しい発想で甲子園のベスト8に進出したN高校の練習には、そのほか注目すべきものがたくさんあります。
イメージトレーニングを実際の行動と結びつけて行う練習もそのひとつです。たとえば守備練習で、捕ったボールを1度わざとファンブルして拾い直し、慌てずに送球する練習をしています。
いわばエラーの練習、正確に言えばエラーに対処する練習です。イメージトレーニングの存在はもうほとんどの人が知っていますが、プラス思考というフレーズが先行して、「自分が勝った場面を想像する」「強い自分のイメージを頭に浮かべる」など、いい夢を見ることがイメージトレーニングだと勘違いしている風潮が強くあります。
それは必ずしも効果的ではありません。2回戦の対F商戦は最後の最後まで勝利の女神がどちらに微笑むかわからない、手に汗握る大接戦となりました。
9回裏2死満塁。7対6、N高校のリードはわずか1点。
ヒット1本でも逆転負けの大ピンチです。この場面で、鋭い打球が3塁手を襲いました。
これを3塁手は頭上にはじいてしまいます。球場全体、いえテレビを見ていた全国の野球ファンがハッと息をのみました。
次の瞬間、3塁手は落ちてくるボールをしっかりとつかみ、迷わず2塁に送球して1塁走者を封殺、N高校に勝利をもたらしました。練習で繰り返していたプレーがもっとも大切な場面で活きたわけです。
つかみ直したボールを、もし1塁に送球していたら、タイミングは微妙でした。セーフなら3塁走者が生還して同点です。
これを2塁に投じた3塁手は、内の眼と外の眼でいったい何を見ていたのでしょう。本人の話を聞いてみると、「はじいた瞬間、しまった、という思いはほとんどありませんでした」
そして、ボールが頭上から落ちてくる間に、「2塁手がセカンド!と呼ぶ声がはっきり聴こえた」といいます。その声に自然に反応して、彼はつかみ直したボールを迷うことなく2塁に送球したのです。
身体がガチガチに緊張しても不思議でない大事な場面で、3塁手の身体がスムーズに動いた背景にはもうひとつの要素がありました。試合の数日後、K監督から聞いたのですが、試合の前日、K監督は選手たちとある場面を想定していっしょにイメージトレーニングをしていたのです。
「それが最終回、1点差、2死満塁という場面だったんですよ」K監督が笑いをかみ殺すように教えてくれました。まさしく、想定したとおりの場面に直面し、それを乗り越えてN高校は勝利をものにしたのです。
イメージトレーニングを通じて眼の筋肉に記憶された行動のイメージは、内の眼の指令で身体をスムーズに動かしてくれます。だからこそ、究極の場面で理想的なパフォーマンスを3塁手にもたらしたのです。
秋の大阪府大会でP学園を破って近畿大会に出場し、センバツ切符をつかんだN高校は、学校をあげて野球部を強化しているチームではありません。グラウンドが狭いうえに野球部がグラウンドを使えるのは週2日です。
中学時代に名をはせた選手たちが大勢集まっているわけでもありません。それでも独自の発想で練習を重ね、全国ベスト8の成果をつかみました。
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